古き良き時代3

2024年2月14日 FF-Staff 0

2023年の「LeaLeaバケーションレンタル 短期滞在向け人気コンドミニアムの予約数 トップ10」を発表しました。10位中、なんと5軒は同じコンドミニアムからのランクイン。その気になるコンドミニアムとは?各お部屋の人気のポイントやおススメ情報と共に、ランクインした10部屋をご紹介します。次回ハワイ旅行のステイ先探しにご活用ください。 2023年、日本からハワイに渡航された方々の数は572,978人で、長引く円安やインフレなどの影響により、コロナ禍前の2019年と比較すると63.6%減でした。渡航者による1日あたりの消費額は1人1日当たり239.0ドルで2019年比で8.0% 減と、やはりこちらにも影響が少なからずも出ているようです。(出典: ハワイ州観光局) その傾向も手伝ってか、駐車場料金が含まれていたり、多くのホテルが設定しているリゾートフィーが無かったりと、おトクに滞在できるバケーションレンタルが人気です。年明けに発表した2023年の「LeaLeaバケーションレンタル 短期滞在向け人気コンドミニアムの予約数 トップ10」にランクインした10部屋をご紹介します。今年の10位中、なんと半数は同じコンドミニアムからのランクインでした。その気になるコンドミニアムとは?人気物件には、選ばれる理由があるハズ。次回のハワイ旅行で、あなたならどこにステイしたいですか?ぜひシミュレーションをしながらご覧ください。

彩事季 – ロックの日

2023年12月19日 FF-Staff 0

今、私は40周年コンサートツアーで全都道府県、津々浦々を巡っている真っ最中である。2023年だけでも、すでに20箇所以上を回った。40周年ということで、チェッカーズ、F-BLOOD、藤井フミヤとさまざまな楽曲を歌っている。コンサート会場はどこもお祝いムードで、お祭りのような盛り上がり。おかげさまでチケットもほぼSOLD OUT状態だ。 そんな折、事務所から「40周年の最後に武道館をやりますか?」と打診があった。「周年の最後が武道館かぁ」。延期になった北海道の振替公演も2本あるし、体力的にも、これ以上増やして大丈夫だろうか。還暦祝いでRED PARTYをやったばかりだし……。でも、あの時はまだコロナの影響で、観客は声を出すことができなかった。凄く盛り上がってはいたが、本来のコンサートの姿ではなかった。武道館が揺れるくらいの大歓声を聞きたい。40周年の締めくくりとしても、武道館こそ最高のステージだろう。「よし! やろう」そう決心した。 それから数日かけて、武道館・バンド・コンサートスタッフなどのスケジュールを調整した結果、日取りは6月9日に決まった。偶然にも、語呂合わせで“ロックの日”。しかも61歳で、60本のツアーと武道館の61公演となる。なんだか縁起がいい。 開催が決まると、次なる課題はステージの形態だ。当初は、現在使っているステージセットや照明をそのまま大きくするのがいいだろうと考えた。しかし、会場が揺れるほどの歓声をイメージすると、やはり360度の客席、つまりセンターステージの方が絶対に盛り上がる。今のステージの拡大か、それともセンターか……。センターになった場合、舞台セットや照明がすべて変わる。同じセットリストだとしても、見え方はまったく違うものになる。多少の曲変更を想定すると、あらためてリハーサルも必要になる。モニターも、イヤーモニターを使うことになる。360度の客席は、ちょっと後ろを向いて休むこともできない。ステージ自体も円形になるので、左右や端というものがなく、ぐるぐる回ればある意味無限。つまり、通常のコンサートより体力が必要だ。ステージの形状を決めるのは今年中でよいと言われたが、各所で準備が必要になるのだから、早い方がいい。最後の北海道のコンサートが6月1日だから、武道館まで8日間はある。大丈夫! いける! センターステージという試練を乗り越えよう! やっぱり、藤井フミヤで武道館と言えばセンターステージだろう!意を決して、センターステージを選択した。 八角形の武道館。鮮やかな照明が、万華鏡のように大きな曼荼羅を創り出す。真ん中に自分が立ち、そこに向かって観客のパワーとエネルギーが集中する。みんなの念力で俺は浮くんじゃないか?と思うほど、それはそれは巨大なパワースポットが誕生する。 歌いながら回るので、観客は自分のいる場所が、時には私の前、時には横、時には後ろということになる。RED PARTYでセンターステージのパフォーマンスを見たスタッフが、「あれってステージが回っていたんじゃないんですか?」「俺が自分で回ってるの」「えーっ、そうだったんですか!」と驚いたことがあった。そう、1曲の間に自分で回転しながら360度に向けて歌っているのだ。本人は、東西南北も前後左右も分からなくなっているのだが。先日、コンサートを見に来た友人から「客席を見ているのも楽しい。盛り上がっているお客さんの笑顔を見ていると、幸せな気持ちになる。ずっと客席を見ていてもいいくらい」そう言われた。その気持ちはよく理解できる。私自身は自分のコンサートを見ることはできないが、コンサートを見ている観客の顔は見ることができる。というか、それしか見ていない。客席のみんなは、最高に楽しそうな笑顔をしている。それを見られるのは演者の特権だ。ところがセンタースタージの場合、観客もそれを体感することができる。なぜなら、ステージの向こう側にも3階までびっしり観客で埋まっているからだ。それもあって、あれほどの一体感と盛り上がりが生まれるのだろう。 2024年6月9日、ロックの日。武道館が揺れるくらい巨大なパワースポットを、一緒に創ろう! みんなのエネルギーで、俺を空中に浮かせてくれ!

彩事季 – 気の遠くなる話

2023年9月1日 FF-Staff 0

気の遠くなる話 ふと、宇宙のことを調べてみたくなった。自分は東京という街に住んでいる。地図や地球儀、Googleマップは見たことがあるので、自分が地球上のどこにいるのかは分かっている。でも、広い宇宙の中でどの辺りにいるのか?と考えると、今ひとつピンと来ない。今時、インターネットで検索していけば、宇宙の中における位置が大体分かるのではないだろうか。 まず、我々は「地球」という星の上にいる。地球には毎日、昼と夜が訪れる。ご存知の通り「自転」しているからだ。地軸を中心に、赤道1周およそ4万kmを24時間かけて回っている。時速にして約1,666km。そして地球は、太陽の周りを1年かけて1周「公転」する。スピードは時速約11万kmで、その1年の間に日本では四季が巡る。 さらに、地球を含む太陽系の惑星や衛星(太陽・地球・月・火星・水星・木星・金星・土星……)は、時速約80万kmで、銀河系を1周している。 銀河系は円盤型に渦を巻いた形で、中心の厚さが約1万5千光年、渦の直径は約10万光年。1光年は秒速30万kmで飛ぶ光が1年で進む距離のことで、約9兆5千億km。ということは、銀河の直径は9兆5千億km×10万ということになる。 単位がどんどん凄くなって、頭がクラクラしてくる! その銀河の中には、約2千億個もの星が存在しているらしい。銀河系の中において、我々のいる太陽系は、やや外周寄りに位置している。銀河系の渦にはそれぞれに名称があって、太陽系は、いて座腕とペルセウス座腕の間に挟まれた、小さなオリオン座腕の端っこに存在している。私には特別な愛着が感じられる、オリオン座だ! そして、太陽系は約2億3千万年もかけて銀河系を1周しているという。我々の1日は何気なく過ぎていくが、実はものすごいスピードで動いている“銀河系の中の、太陽系の中の、地球”で生活しているのだ。 さぁ、ここからさらに広がってゆくので、しっかり想像しながら読んでくださいね! 現代の宇宙物理学では、我々のいる銀河系と同じように数千億の星を持った銀河が、なんと!約2兆個以上あると言われている。そのすべてが、銀河系・太陽系・地球と同じように自転や公転をしながら動いている。 我々のいる“天の川銀河”は、周りにある他の銀河とともに銀河群(規模は約数百万光年)となり、さらに銀河群が集まったものが銀河スーパーシステム(約数千万光年)となり、さらにそれが集まって銀河ヒューパーシステム(約数億光年)となり、さらにその集合体が「超銀河複合体」なるものを形成しているらしい。 宇宙はとてつもなく壮大だが、町が集まって市になり、さらに県や国になるのと同じようなことが、相似形で大規模に起きているだけのような感じもする。途方もない大きな宇宙のエネルギーが、宇宙全体を時計のギアのように回転させているんだなぁ。ハァ~~~。気の遠くなるような話でしたね! 少しは自分の今いる場所と状況が分かればと思って調べ始めたのに、日本→地球→太陽系→銀河系→→→全部グルグル回ってる! 分かったような、分からないような……。でも、あなたの脳も壮大な宇宙を想像できたはず。ということは今、あなたの脳の中に宇宙がすっぽり入ってしまいましたね。脳がクルクル回ってるでしょう? もうクルクルパーって感じ?(笑) でも大丈夫。人間の脳と心も、宇宙と同じく無限なのだ。 とにかく、壮大な宇宙の中に、自分という小さな存在が「今」を生きているのは間違いない。この命が、いかに奇跡的で大切なものであることか。あなたも私も「生きる」という意志のエネルギーであり、大きな宇宙のエネルギーの一部なのだろう。宇宙規模の時間と距離で考えると、我々の肉体が生きているのは一瞬でしかない。それが今、同じ時代に、すぐ近くと言える距離感で生きているのだ。とてつもなく広い宇宙の中でお互いの魂が巡り合えたことは、奇跡と縁の賜物ですね。

彩事季 ー 収束

2023年6月2日 FF-Staff 0

収束 とうとう、ようやく、やっと。新型コロナウイルスがほぼ収束した。こう書けるまで長かったぁ~。みんな!お疲れ様でした! 2019年12月初旬に中国の武漢市で最初の感染者が報告され、日本では2020年1月に最初の感染者が確認された。当時、ハワイで正月を過ごしている時にネットを見て、「なんか中国で変なウイルスが流行ってるらしいぞ」と、まだ他人事のような会話をしていた記憶がある。その後、わずか数ヶ月で感染が世界中に拡大した。渋谷の街はゴーストタウンのように静まりかえり、あのスクランブル交差点から人が消えた。見たこともないSF映画のよう。これから先、あんな光景を二度と見ないで済むことを祈る。 今を生きている人類が初めて経験した、ウイルスによる地球規模のパンデミック。思った以上に長引き、収束するまで約3年半もかかった。人生のうち3年半を失ったようなものだ。多感な青春時代の子供たちは本当に可哀想だった。楽しい青春を過ごしてきた大人は、その限られた時期がいかに大切な記憶になるのか知っている。多くの人が、突然仕事がなくなったり、生きてゆくための糧を失ったりもした。我々はそんな状況の中でも家族や友人と支え合い、あの手この手で頑張り、耐え忍んだ。自分もどこにも出かけられず、ずっと家にこもっていた。あんなに家で過ごしたのは、人生で初めてだ。自宅で楽しめることは限られる。そんな中、音楽というものが少しは心の安らぎになったことは間違いない。 振り返ると、辛いこともあったのに、なぜか不思議と笑顔を思い出す。きっと個人的な出来事ではなく、誰もが平等に受けた災難だったからかもしれない。みんなで頑張ろう、という仲間意識や復興精神のようなものがあったからだろう。 2020年10月31日、ACTIONツアー初日。我々は恐る恐る手探りな状況でも、国からコンサート開催許可が出た以上、とにかく始めることを決めたのだった。ようやくコンサートができるようになった喜びとともに、これまで毎年当たり前のようにやっていたコンサートという仕事が、いかに幸せなことだったのかをあらためて認識した。久々にコンサートスタッフやバンドがリハーサルスタジオに集まった時の、あの嬉しさ。現地で初めて経験する会場の様子。座席は一席おき、マスク着用、声援禁止。まぁ再開できただけマシだとは思ったが、どんなにノリのいい曲やパフォーマンスをやっても歓声はなく、拍手だけ。もちろん、みんな手を痛くなるほど叩いてくれていたとは思うが、コンサートとしては異様だった。そこですぐに、観客のレスポンスがより分かりやすくなるコミュニケーション手段として、動きのある光り物のグッズを増やした。初期の段階で来場してくれた観客は身も心も完全防備だったと思う。おそらく家族から「こんな時にわざわざ人の集まる所へ行くのか」と反対もされただろうし、未曾有のウイルスへの恐怖で慎重にもなっただろう。もちろん、医療関係者などコンサートどころではない人も多かった。約3年の間に制限は徐々に緩和され、全席使用・マスクありでの歓声がOKになった。それでもまだまだ、本来のコンサートのスタイルではなかった。 そしてSpecial LoveSongツアーの最終日、ついにマスクなし・歓声OKとなり、すべての制限が解除された。実際に個人判断でマスクを外した客は4分の1くらいだったろうか。それでも「えっ!こんなに歓声って大きかったっけ?」と驚くほどだった。あちこちから好き勝手に歓声が飛んでくる。コンサートというのは、踊るわ跳ねるわ叫ぶわ歌うわで、日常にはない空間を楽しむためのもの。こちらも「そうだそうだ、そうだった! これこそがコンサートだ!」と思い出す感覚だった。次のツアーでは、観客のほとんどがマスクなしで楽しんでもらえるだろう。きっと会場は相当賑やかになるはずだ。迎えるこちら側も、そんな本来のスタイルに調子を戻さなければいけない。 40周年アニバーサリーツアーでは、チェッカーズ、F-BLOOD、藤井フミヤ、この3つから楽曲を披露することになる。どれくらい盛り上がるのだろうか? きっと凄いだろうなぁ。思えばACTIONツアーやRED PARTYでも、大歓声が起きるはずの懐かしいチェッカーズ曲を歌ったのに、ファンの驚きと喜びの歓声を聞くことができなかった。聞きたかったなぁ~、イントロが鳴った時の歓声を! また、これも運がいいというか不思議なタイミングなのだが、おそらく人々のコロナを引きずった気持ちがほぼなくなっているであろう9月に幕を開ける。みんなで弾けて大騒ぎして、3年半で溜まったコロナストレスを思う存分発散して、40周年は“我々のお祭り”にしよう!! ひとつのツアーで全都道府県を周るのは初めてだから、気合いを入れつつ真面目に頑張る。40年も歌い続けることができた感謝を、ステージから君たちに伝えるために。

彩事季 ー 客観視

2023年3月10日 FF-Staff 0

客観視 自分を客観的に見る――人生において、時々は必要なことなのではないだろうか。 自分の人生なので人にどう思われようが関係ない! という考え方もあるだろうが、やはり社会の一員として人々と共存して生きているわけだから、多少は他人様からどう思われているのかも気にかけた方がいいだろう。嫌われるよりは好かれた方がいいわけだし。とはいえ、人間というものは自分のことは自分で気が付きにくい。昨今のSNSやネット上での無遠慮な投稿や攻撃は、自分のことを棚に上げて他人のことをとやかく言っている例である。こんな世の中だからこそ、自分のことを客観的に見て、考えてみることも大切なのではないか。 というわけで、還暦を迎えた今の「藤井フミヤ」を客観視してみよう。 私には職業柄、二面性がある。藤井郁弥と藤井フミヤである。みんなが知っているのは当然、「フミヤ」の方だ。とはいえ、両者にそれほど差はないと思っている。ここであえて自分で客観視した文章を書いてみたところで、君たちにとっては「えっ!?」なんて驚くことはほぼなく、むしろ「そうそう!」と思うことばかりかもしれないが。 さて!「藤井フミヤ」かぁ……。まずは、すでに40年も歌手をしている。今や芸能人としては年長な方。若い子たちから見ても物心ついた時から存在しているわけで、チェッカーズは知らなくても藤井フミヤは知っているという世代もいる。 見た目について。年齢よりは若く見られる。還暦に見えない男性芸能人1位だったし。でも、これといって特別なことはしていないので、コンサートで歌うパワー自体がアンチエイジングになっているのだろう。大声で歌って、叫んで、飛んで、跳ねて、回って……そりゃストレス発散してるよなぁ。ということは、ストレスを感じないのが若さの秘密なのか? いや俺だって多少のストレスくらいあるけどね。ステージで歌っていなければ、ただの小さなおじさんだな。ここから先、縮んでゆく可能性もあるか……猫背気味なので背伸びを心がけよう。体重は20代の頃から変わっていないが、最近、妙に甘いものが好きになってきている。年間を通して歌っているので、健康にはそれなりに気を使っている。 歌という芸で生計を立てているので、一応「芸能人」ではある。ただ、この芸能人という名称は、世間一般的には「有名人」「テレビによく出ている人」を指す。ひと口に芸能人と言っても、職種はかなり多岐に分かれている。ミュージシャン、俳優、タレント、コメディアン、司会者、コメンテーター…etc. ここ最近、仕事でそういう人たちに会う機会はほぼない。俺も可愛いタレントさんや綺麗な女優さんに会ってみたいなぁ~なんて思ってしまうほど、いわゆる芸能界とは程遠い職場にいるのだ。テレビにあまり出ない歌手が普段は何をやっているのか、世間の多くの人は細かい活動は知らないだろう。「いいですねぇ~、ゆっくり仕事されてて」みたいに思われることも多いが、いやいや、還暦過ぎてもめちゃ多忙なんですけど! 曲を作り、それを売り、コンサートをやる、というのが基本的な仕事。時々はテレビにも出るが、それは歌のプロモーションの一環。今や、You Tubeなどで過去の映像を見られることの方が多いのかもしれない。 では、本業の歌はどうか。客観的に見て、明らかに若い頃より上手くなっている。ポップスシンガーなので、ロック、ダンス、バラード、ポップスと、あらゆるジャンルの曲が歌える。少年の恋から、いぶし銀のオヤジの愛まで歌うことができる。さまざまなバンドの形態で歌ってきた。ギター1本からオーケストラ、独唱まで、すべて経験している。強いクセはなく、低音から高音まで聞き取りやすい声質と滑舌だと思う。そうなるように気を付けて歌っているから、そう聴こえるのだけれどね。パフォーマンスは、適当なダンスではあるが、わりと踊れる。今時のダンサーのようなパフォーマンスではないが、ソロボーカルのフリーパフォーマンスとしては“踊れるシンガー”な方だろう。 ファッションセンスは、比較的いい方ではなかろうか。子供の頃から培われた“ファッション好き”が、今でも役立っている。ただ、あまり奇抜なデザインや色の服は着なくなった。もう買わなくていいだろうと思うくらい黒い服ばかり持っている。 そして、性格やものの考え方。これはいくらでも挙げられる。もっとカッコつけてもいいのだろうとは思うが、どうもカッコつけるのが苦手。実は目立つことは得意ではなく、謙虚とか地味とか控えめが好きだったりする。人に対しては優しい方だと思う。控えめなので、優しさを押しつけはしない。人の悪口は言わない。人は人なのだから、自分と関係がないなら知ったこっちゃない、と思っている。神仏は信じているが、これといって決まった信仰はない。仕事に関しては実に真面目である。本当に真面目なんですよ! ここまで長くやってこれた最大の理由は、真面目だったからだろう。プライベートでは決して大騒ぎすることはなく、常にクールというか穏やか。思い切り盛り上がれるライブの時とは違い、プライベートで「イェーイ!」というテンションになることはほぼない。せいぜい、ホークスの試合でホームランが出た時ぐらいだ。全然ストイックな人間ではない。ずぼらで細かいことはあまり気にしないが、だらしなくはない。とはいえ、気になってしまうことに関しては、バカみたいに細かかったり長引いたりすることもある。 計画性はあまりない。数字やお金が苦手。読書は好きだが、説明書や契約書類を読むのは面倒くさい。苦手なことは遠ざける。人に何かを任せることができる。人を騙すことはないが、人をすぐ信じやすい。欲望に流されやすかったが、最近は我慢できるようになった。年々イケイケな部分が減って、慎重になっている気がする。手先が器用で、何でもできる。絵が描けるが、まだまだ発展途上な作品ばかりだと思っている。これからもまだまだ歌う気でいるので、健康が何よりも大切だと思っている。歌えなくなったら絵でも描こうかと思っているが、歌えなくなるってことは絵も描けないんじゃないか? とも最近思う。好き嫌いなく何でも食べる。アルコールをさらに減らしたいなぁ~と思っている。そろそろタバコをやめなきゃなぁ~と思っている。これからの未来をどうしようかと考えることもあるが、なるようにしかならんだろう、とも思っている。最近、世の中の新しい物事に付いていけない気がしている。発達し過ぎたIT文化は、便利なんだか不便なんだか。これからの人生を楽にするためには英語を勉強しなきゃと思いながら、何もやらないでいる。海外旅行くらいならスマホの翻訳アプリでどうにかなるっしょ!身体が自由に動く時期を考えると、ここからの10年が大事だと思っている。あっという間に人生は終わるものだと常に思っているが、まだまだ死ねないと思っている。 いざ自分を客観視してみると、次から次に出てくるのできりがない。たまにはこうして棚卸しするのも大切なことだ。 今のところ、自分は幸せな人間だよなぁと思っている。そう思えることが何よりだろう。「藤井フミヤ」って、まぁこんなヤツですかね。君は俺のこと、どんなヤツだと思ってる?君は君のこと、どんな人間だと思ってる?

彩事季 ー 幸福の輪

2022年12月16日 FF-Staff 0

「幸福の輪」 12月になると、街も人も賑やかになり、時間が忙しなく流れてゆく。街を歩けば、老若男女たくさんの人とすれ違う。交差点で立ち止まり周りを見渡すと、どこを見ても人・人・人・・・。何をしている人なのだろう? どこへ向かっているのだろう? みんな、何らかの目的に向かって歩いている。それぞれに帰る家があり、部屋にはいろいろな持ち物があり、故郷や実家があり、職場や学校があり、親や親戚、友人や恋人や同僚がいたりする。みんなが今という同じ時代を生きている。100年経てば、ここにいる人たちはほぼ誰もいない。命は常に入れ替わってゆく。でもきっとこの場所には、100年後も同じような光景があるのだろう。 ふと、ここにいる人たちは、みんな愛の結晶なのだなぁと思う。男と女が偶然に出会い、惹かれ合い、逢瀬を重ね、やがて同じ屋根の下で暮らし、心と身体が結ばれ合い、授かった愛の結晶。この人もあの人も、親が愛し合い、その結果生まれた命。地球は愛の結晶だらけの星だ。 人は生まれた時、大なり小なり幸福の輪の中心人物となる。産着を着せられた赤子が若い両親に交互に抱かれ、兄や姉がいれば、弟妹ができたと抱っこされる。祖父母や親戚や友人たちも、その子の顔を見にはるばるやってきただろう。贈り物をもらったりもしただろう。一人の誕生を周りの人が喜び、祝い、その子を中心に輪ができたはずだ。 自分もそうだったに違いない。とくに長男で初めての子供だったから、両親は大層喜んだことだろう。どれほどの人が喜び祝ってくれたのかなんて、もちろん記憶にはないが、想像することはできる。自分を取り巻く環境、そこに広がる幸福の輪。輪の中心にいる光のような赤子は間違いなく自分。まるでキリスト生誕を描いた絵画のように、生まれたばかりの自分のところにいろいろな人が集まってきたのだろう。 新しい命が生まれると、未知なるパワーが誕生し、そこから運命の歯車が回り始める。まるでビッグバンのように、“無”から突然、“ひとりの人間”としての人生が始まる。人生は常に、人と人との出会いでできている。人との繋がりが物語のように続いてゆく。時には人生にもみくちゃにされ、社会や世界には大変なことも起き、生きるだけでくたくたに疲れたりもする。それでも今この瞬間、またどこかで新しい命が誕生している。そこに新たな幸福の輪が広がり、たくさんの人を笑顔にしているはずだ。 人は、最初から幸福の輪の中にいる。その輪が大きくなったり小さくなったりしながら生きてゆく。やがて家族や知人に惜しまれながら、輪の中で永眠につく。今の自分を取り巻く幸福の輪は、ありがたいことに、とても大きい。

彩事季 ー 魂ってなんだろう?

2022年9月9日 FF-Staff 0

魂ってなんだろう? 椅子に座り、綺麗な空を眺めてのんびりする。禅のように自分自身に問いかける。魂ってなんだろう?はたして魂は存在するのか? 魂とは……そんなことを、誰しも一度は考えたことがあるはずだ。魂なんてない、と言い切れる人間は少ないだろう。日本語辞書で「魂」を調べると、「肉体に宿り心を司るもの。肉体から離れても存在し、死後も不滅で、祖霊を経て神霊になるとされる。自然界の万物に宿り霊的な働きをするもの」などと書かれている。英語では「Spirit」「Soul」。きっと世界中の言語に、魂という単語は存在する。それだけ多くの人類が、魂というものがあるという感覚を共有しているのだろう。 魂……心とは違う。魂……命とも違う。心は、体が触れたり感じたり頭で考えたりした時に、何らかの感情を生むもの。命は、肉体が生きている間の生命のこと。肉体は、人間あるいは地球上の生物の物質的な部分。人間の寿命は、人にもよるが約90年以下。そして命がある間、肉体の中に宿るのが、魂。自分のイメージとしては、無機質で無色透明な光の玉のようなものが、上半身の真ん中あたりにあるような感じ。 魂が命ある肉体に宿るわけだから、そこには何らかの「意志」があると考えられる。ということは、生まれる以前からの根源的な意志だと言える。魂が、肉体を得るという目的を持って、どこからか飛来してくる。意志なのだから適当に生まれるのではなく、誕生するための肉体を選び、その中に宿る。当然、目的に適した環境の人間を選ぶはずだ。 では何のために? それは何かを成し遂げるため、もしくは何かを学ぶため。そう考えるのが、ごく自然だろう。生きているということは楽しいことばかりではなく、苦労や辛いこと、悲しいことも多々経験する。肉体=体験。一回の命で成し遂げられない場合は、何度も生まれ変わってトライするのではないか。いわゆる輪廻転生というやつだ。 となると自分の魂もこれまでにいくつもの肉体を経験し、何度も死んでいると考えることができる。そう考えると死は怖いものではなく、肉体という服を脱ぐようなこと。あるいは肉体が車で、魂はそのドライバーのようなもの。生まれ変わってまた別の人間として誕生するのは、ドライバーが新しい車に乗り換えるような感覚かもしれない。そもそも、死というものをよくよく考えてみると、それは辛いものだろうか? 苦しいものだろうか? あくまで生きている肉体が辛く苦しいと感じたりするだけで、死んでしまえば魂は肉体から解放されたことになる。むしろ肉体を脱いだ時、魂は「ハァ~、やっと脱げたよぉ~。これ重かったなぁ~」と思うのかもしれない。肉体の中にいる魂よりも、肉体から離れた時の魂こそが、本来の己ということになる。さらに、魂は単に地球的・人間的な命ではなく、もうひと回り大きな次元の命が存在するのではないか。宇宙のイメージで考えると、例えば地球的な魂は地球の円の中で学ぶ。肉体を離れた魂は太陽系の円の中で学ぶ。さらに上の次元の魂は銀河系の円……と、どんどん大きな円になる。もしかしたら太陽系外まで到達できた魂を、神とか仏と呼ぶのかもしれない。生命とは“生きている間だけのもの”というとらえ方は、あくまで人間の考えであって、それよりもっと長い、魂という次元の生命体が存在してもおかしくはない。魂よりさらに上の次元の、神や仏のような生命体の存在も否めない。まぁ自分の中で今あらためて魂について考えた結果、そんな結論に至った。 さて! だとしたら、私の魂はどんな意志を持って「藤井フミヤ」という人間に宿ったのか?という話になる。今のところ、自分の意志(魂)がやっているのは「歌を歌う」という役割であること。歌うことが自分や自分以外の人にも幸せをもたらすなら本望だ、と感じていること。どう考えてもこれしか浮かばない。これを納得できるまでやり続け、やり遂げたなら、もう私の魂は次に人間に宿り学ぶことはないのだろうか? 次の高い次元へ上がれるのだろうか? いやいや、まだやり残したというか、もっとこうなりたいという希望がある。例えば、世界中の人と自由に会話がしたい。そのためには世界共通言語である英語を勉強しなければならないが、まだそれを怠っている自分がいる。また、日本人に生まれたからこそ、日本の素晴らしい文化を先人たちから受け継ぎ、次世代へ継承したいと思うが、勉強不足である。これらが心残りなまま死んだとしたら、次は、英語を喋る京都人にでも生まれ変わるのかもしれない。まぁ、それでも「歌う」ということで今世の70%くらいの意志は達成できているのかも。 とにかく、私の魂はまだまだ発展途上な気がする。つまり次も人間として生まれる次元の魂。前世でも歌っていたような気がするが、次に生まれ変わっても、また歌っているような予感だけはしている。 もしあなたが同時代に生まれ変わったとしたら、たぶん次の私もどこかで歌っていると思うので、気付いてくださいね。

彩事季 ー 50代最後の彩事季

2022年6月3日 FF-Staff 0

50代最後の彩事季 これが50代最後の彩事季になる。50代の10年間を振り返ってみよう。 正直、自分でも何をやったのか、どの出来事がいつだったのか、よく覚えていない。そこでマネージャーに10年間の主な出来事、楽曲リリース、コンサートなどをピックアップしてもらった。1枚の紙に、自分の10年間の軌跡が連なっている。あくまで主要な事柄のみなので、細かいことまで書き出せば3倍以上にはなるだろうし、ホームワークを含めれば睡眠と飲食以外はほぼ頭が回転し続けていることになる。自分で言うのもなんだが、パッと見ただけでも働き者なのだなぁと感心する。今回の彩事季には、その10年間のスケジュールを掲載する。FFのメンバーなら、読みながら浮かぶ思い出がそれぞれにあるだろう。その時のこと、その時の自分、その時の気持ちを思い出してほしい。 さて、藤井フミヤは50代の10年間で何をし、何を考え、何を学んだのだろうか。振り返るとぉ~♪ とにかく、よく歌った10年間であった。ボーカリストとしては、フルオーケストラとのコンサートに初めて挑んだ。それにより「ギター1本からフルオーケストラまで」歌えるボーカリストに成長することができたと思う。ミュージシャンとしては、新たに音楽プロデューサー大島賢治くんと出会ったことで、ソロでもF-BLOODでもROCKなサウンドの楽曲がいくつも生まれた。コンサートツアーに関しても、有賀BANDと大島BANDができたことでカラーの異なるツアーがしやすくなった。伊勢神宮の式年遷宮という日本古来の大きなイベントに参加できたことや、震災後の東北の街を訪れ歌ったこと。長年休んでいたFUMIYARTの再開と同時に美術館で個展を開催できたことも、今後の人生に大きな広がりを見せてくれている。プライベートでは息子の就職と結婚もあった。 自分が10年間のさまざまな出来事を通じて何を感じ、どう成長に繋げられたのかは定かではない。それでも確実に、心の中にある宇宙は広がっているに違いない。 それにしても、あっという間だった。きっとこれから70歳までの10年も、あっという間なのだろう。人生はきっと、日の出から日の入りのようなものなのだ。まぁとにかく! この10年間のすべては、君たちFFメンバーと共にあった。心の奥の、もっと奥の、魂の光源から君に言おう! 本当に素晴らしい50代をありがとう! 2012年(50) 【リリース】AL「Life is Beautiful」mini AL「Winter String」【ライブ】「Life is Beautiful」発売記念ライブ@ビルボードライブ東京  Life is Beautiful ツアーWinter String ツアー FF & Bare FC […]

彩事季 ー 自分時間

2022年3月7日 FF-Staff 0

自分時間 この世には、絶対に止められない物事がある。時間がそのひとつだ。宇宙が生まれた時から常に存在しており、刻一刻と過ぎてゆく。基本となる単位は六十進法。60秒で1分、60分で1時間、24時間で1日。それから1週間、1ヶ月、1年。地球が24時間で1周し、宇宙の星の動きで暦が作られている。ほとんどの人類が時計とカレンダーを生活に不可欠な基準とし、依存している。もしかすると数十年くらい前は、ここまで時間という単位に縛られず生きている人々もいたかもしれない。今もアフリカやアマゾンなどの一部部族は、過去・現在・未来といった時間の概念が我々とは異なるという。それでも太陽の動きや季節の変化を肌で感じて暮らしているはずだ。 時間とは不思議なもので、気持ちや状況によって伸び縮みする。楽しい時は速く過ぎるし、辛い時間は長く感じる。スマホがなかった時代、そこには「退屈」という時間があった。何もすることがない時や、ただの待ち時間である。しかしスマホを手にした現代人には、ただボーッとする時間や退屈というものが、ほぼなくなった。暇な若者はすぐにスマホを取り出し、ゲームやメール・LINEなど何らかの時間つぶしをしている。自分もスマホを持たずに病院の待合室で1時間以上待ったことがあるが、もはや瞑想や坐禅のような待ち時間だった。ついひと昔前までは、それが普通だったというのに、だ。今や、完全にボーッとしたければ意識的にスマホをオフにして時間を作らなければいけない。便利な技術の発展により、現代人は同時にいろんなことをこなせるようになった。移動しながらスマホで映画を見る。パソコンでニュースを読みながら仕事をして、その傍ら、スマホで友達にメールを送る。2~3のことを同時進行するのは当たり前になっている。何もかもが時間短縮され、多くの人がせわしなく生きている。どう考えても、パソコンやスマホがなかった時代と現代の1日24時間が同じ長さとは思えない。効率化は処理時間を短縮してくれるけれど、1日の体感は短く感じるのかもしれない。 コロナによって社会に起きた変化のひとつが、「自分の時間を大切にする」という意識へのシフトだ。毎日電車に乗って会社に行かなくても、リモートワークで済む仕事がたくさんあることが分かった。通勤時間がなくなった分、自分の自由な時間が増えた。「もう、マイペースでいいんじゃない?」そんな現象がアフターコロナで起こっている。日本人は昔から勤勉で真面目な民族だが、社会的な関係性を保つために無駄に個人の時間を削ることが多かった。これからは、より欧米人のように個人主義や個人の自由を主張してもいいんじゃないか、という時代になってゆくのだろう。自分も、仕事はもちろん、たとえ休みの日でもあれこれやることがある。それでもコロナ前に比べると今の方がゆっくりできている。テレワークなどで自分の周辺がまず変化したから、結果として自分もそうなったのだと思う。なにしろ私の仕事のスケジュールを立てるマネージャーも、その変化の一部だからだ。セイコー時間白書という日本人の時間感覚に関する調査で、自分で自分の時間に値段を付けるならいくらか?というものがあった。自分のオンタイム(仕事や学校)とオフタイム(プライベート)の1時間の値段を自分で付けるのだ。結果として、オンタイムの1時間は4千円程度で、オフタイムはその2~3倍と圧倒的に高額。つまり自分の時間の方が仕事より大切、と考える人が多いということだ。さらにこれもコロナ禍の影響か、オフタイムの値段が過去の調査よりも上がっている。私のオフタイムはというと、まず起きたら今日やることを決める。3つほど決めて、まぁ2つできればいいかなぐらいの気持ち。例えば今日なら「彩事季を書く、机の整理整頓、必要な物を買いに行く」といった具合だ。やることを決めないと、あっという間に日が暮れて、何もしないまま夜になってしまう。一方で、たまには「今日は何もしないでゴロゴロする」と決める日もある。 自分時間とは、極論すれば「生まれてから死ぬまで」。つまり人生そのものだ。 80歳まで生きるとしたら、80×365=29,200日29,200×24=700,800時間700,800×60=42,048,000分42,048,000×60=2,522,880,000秒80歳とは「25億2288万秒の人生」ということになる。 今こうしている間にも、自分時間は何秒も何分も過ぎてゆく。まるで手の平からポロポロと人生の時間の粒が溢れてゆくように。「自分時間=人生」を豊かにする時間の使い方が大切なわけだが、そのためにどうしたらいいのか。正直、書きながらも答えは見えないのだが……。ひとつの考え方として、時計やカレンダーは一見我々を支配しているようにも思えるが、それらは自分があえて時間を区切るために使っているツールに過ぎない、とも言える。より人生を充実させるには、1日、1週間、1ヶ月、1年、それぞれの単位でスケジュールを立てると時間への意識が高まるのではないだろうか。そんなものに支配されないのが自由だ!と言う人もいるかもしれないが、今の世の中、文明をすべて捨て去るぐらいでなければ時間管理なしで生きるのは難しい。オンとオフ、義務と自由、社会と自分、家庭と自分。その境界線や心の切り替えをはっきり区別し、かつ、あまりきっちり決め過ぎずマイペースで。時間は伸びたり縮んだりする。だからこそ自らの意思でコントロールすることが、「自分時間=いい人生」を作るのではないかな。

彩事季 ー 2022年

2021年12月1日 FF-Staff 0

2022年 2022年になった。寅年であり年男、そして本厄でもある。7月にはとうとう60歳。世間で言うところの還暦となる。気持ちはいつまでも若いのだけれど、肉体の方は徐々に年相応になってきている気がする。ただ見た目の老化は、同級生に比べるとややスローテンポだと思う。ステージに立つことが精神面でもアンチエイジングになっているのかもしれない。 歳をとったなぁと思うのは、いわゆるZ世代が本格的に創る時代に自分は付いていけるのだろうか?と感じてしまうことだ。Z世代とは、1990年代後半~2000年代生まれの人類。すでに社会のデジタル技術が発達しており、生まれた時点でインターネットやオンラインが普通にあった世代を指す。ちなみに、1960~1970年代生まれはX世代と呼ばれる。Z世代からすれば、X世代は石器時代ぐらいの旧人類かもしれない。私もスマホやパソコンを使ってはいるが、完全には使いこなせていないし、なきゃないでどうにかなると思っているし、なんなら全部なかった時代の方が好きだったりする。そう思えてしまうことが、やはり石器時代だと思う。同じX世代でも、多くのビジネスパーソンの方が私よりよほど適応しているかもしれない。会社組織自体がデジタル化している中、社員もそうならざるを得ないからだ。もちろん私の周辺もデジタル化は進んでいるが、自分は「歌手」というアナログでも平気なポジションなので、比較的のんびりしている。今くらいのデジタル化が自分にはギリギリだなぁ。5Gも、私には本当に必要なのだろうか?と思ってしまう。すっかり社会の情報源もエンタメも買い物も予約もインターネットになり、キャッシュレスも進み、人との対話はSNS。いくら最初は操作が複雑でクールに感じても、たしかに使ってみれば便利なことが多い。どうにか頑張って付いていくしかないと観念している。世界も、この10年でかつてない多くの変化を味わうだろう。中国がアメリカより大きな権威を持つ国になる可能性があるし、AIもさらに進化し、車は自動運転となり、工場はほぼロボット、そして気候変動による地球環境の変化も予想される。Z世代が社会の中心になる頃には驚異的な変化が起きており、私は60代でその時代を経験することになるだろう。なんだか凄い時代に老人になるのだな。 なんにせよ60歳となる今年は、今後の生き方を考えるいい節目だ。これからの10年、何が本当に大切で、どう楽しく面白く生きてゆくのか。人生は、よりシンプルになってゆくだろう。まず不必要なものをなくす。歳をとると何でもおっくうになるから、そうなる前に整理しなければ。10年以内には、新しい子孫が誕生する可能性もある。それは新たな未来になるだろう。また、年上の知人を見送ることも増えるだろう。ある程度は順番でもあるからしょうがない。もちろん私の見た目も変化してゆくはずだ。思い通りに体を動かして好きなことを自由にし、発想を行動に移す力があるのは、あと10年くらいかもしれない。70歳から先はおまけというか、神様から与えられる寿命。80代まで生きられれば自分としては充分な気がする。50代もあっという間だったので、ここからの10年間もそうだろう。もっと加速するかもしれない。焦ってもしょうがないが、悠長でもいられない。というわけで、あと10年は好きなことだけをやるしかない。好きなことと言っても、自分のためだけでなく、人のためにという気力がまだまだある。ひとまず10年ぐらいは“藤井フミヤ”な気持ちで頑張るつもりだが、そこから先はフミヤを引退して“郁弥”に戻ったりすることもあるかもしれない。もちろんまだ歌が歌えるのなら歌うし、絵が描けるのなら描く。それくらいの体力は維持するつもりだ。まずは大病を患わぬことが何より大切だろう。どこかが壊れてちょこちょこメンテナンスするぐらいは、当たり前である。 だが実は、不思議なくらい未来に不安がない。なるようにしかならん!という気持ちもあるが、なぜ不安がないのか。それは、これからの10年もみんなと共に生きてゆくことは明らかだからだ。それが私を生かすPOWERになっている。というわけで、2022年もよろしく頼みます!