デビュー40周年の藤井兄弟が語るあんなこと、こんなこと お待ちかね、藤井兄弟スペシャルインタビュー後編をお届け!F-BLOODツアーを振り返った前編とは趣向を変え、デビュー40周年を迎える想いを中心に、ファッション・東京・音楽についてもフリートークを展開。笑いあり深みあり、 “今の藤井兄弟”の魅力あふれるロングインタビュー。二人の醸し出す空気ごと、たっぷりお楽しみください。 ●40周年を迎える想い ———2023年はお二人にとって、デビュー40周年の年となります。それぞれの想いを聞かせてください。 フミヤ(以下F):40年もこの業界にいて音楽で生きているなんてこと、俺自身はまったく想像していなかった。それこそ若い頃には50で引退してると思ってたのに、まさか武道館で還暦を祝ってもらっているとは。しかも、活動してはいても先細りする人も多いのに、それもさほどないまま今までやってこれたことに驚くね。これは本当に、みんなが応援し続けてくれているからこそだよ。しかも現状、こちらが届けたいものとお客さんが受け取りたいものが、ちょうどいいバランスだと感じてる。俺がやっている音楽や伝えたいメッセージというのは、ホールクラスの会場向きなんだよ。だから最大でも武道館ぐらいがギリギリで、あれ以上大きいと伝わりづらいかもしれない。ホールツアーは本数が必要になるから、実は大箱より体力的には大変なんだけどね(笑)。やれるうちはいくらでもやっていくよ。尚之(以下N):ライブをやり続けるというのは大事なことだよね。今回のF-BLOODツアーも、まだあと何本かやりたい感じがあったし。我々がこれだけ長く音楽をやれているということは、聴いてくれる皆さんがいるから。もちろん本人の努力というのもありはするんでしょうけれど、自分だけでできることじゃない。俺らは、基本的に音楽というレールからはみ出ることなく進んできたんでしょうね。まあ多少脱線したことはあるかもしれないけど、軸足はずっと外していないという。例えば兄ちゃんはアクター系の仕事もやったことはあるけれど、音楽から離れることは一切なかった。ミュージシャンでも、映画とかドラマをきっかけに俳優業が増えて音楽を離れる人も少なくないじゃないですか。F:それはあるな。俺も尚之も役者の仕事をしたことはあるけれど、むしろそこはどんどん外していったもんね。若い頃からいろんなことをやってきたけど、すでに歌一本というのが明確。自分は完全に音楽が仕事であり、歌で食べているという意識がものすごくハッキリしている。基本的に音楽以外のことは、あくまで付随したものだと思ってるから。N:自分に関しては、そこは多少ブレたところもあったかもしれない。もし早くから脇道に逸れずにサックスを武器として絞っていれば、もっと極められたのかもしれないと若干思わなくはないけど。楽器をやっている人間というのは、どうもいろいろやってみたくなりがちなんだよね(笑)。でもそんなの、実際やってみたらどうだったか分からないし。もちろん今はもう、基本であるサックスを大切に、しかと最後までやり遂げようと思ってますよ。F:尚之はミュージシャンだからね。サックスも吹くし、ギターも弾くし、それで曲も作るし。俺はボーカリストとして、今の俺のままでよかったかも。もし頑張って途中からピアノを弾けるようになったりしていたら、作詞作曲するようになったりして、ボーカリストというよりシンガーソングライターみたいになっちゃってた気がするんだよね。そしたらパフォーマンスも今とは変わっているはずだし、なんだか半端な気がする。自分はあくまでボーカリストでやってきてよかったと思うよ。N:サックスの技術に関しては、自分より上手い人はいくらでもいるわけですよ。でもそういう人たちは、俺みたいなポップなジャンルの音楽はやっていないし、こういうアーティストにもならない。だからこれはこれで、自分が好きでやってきた音楽から背伸びせずに、デビュー以来、好きなジャンルをやれていると思いますね。F:俺は一度就職したけど、尚之は高校卒業してすぐデビューだもんな。就職先がチェッカーズ(笑)。 ———すごいですよね。就職先が「株式会社○○」とかじゃなくて「チェッカーズ」(笑)。 N:そうです。他の仕事はまったくしたことがないし、できません(笑)。 マネージャー:東京への憧れは、フミヤさんが一番強かったんですか? F:そうだね、俺が一番強かったと思う。デビュー前から東京に遊びに行っていて、渋谷や新宿も知っていたから余計にね。東京で最初に歩いた街は、新宿だったはず。東京駅で新幹線から中央線に乗り換えて、新宿のアルタ前に行ったんだよ。街頭ビジョンを見上げて「あっ、ここがテレビでよく見る場所か!」みたいな(笑)。東京では面白いところばっかり案内してもらって、もう楽しいものしかなくてさ。東京に住んでいる同世代の学生たちは、みんな遊んでいるようにしか見えないわけ。原宿の洋服屋でバイトしてる子たちとか、うらやましかった。なんで俺は東京の学校に行かなかったんだろうって、ジェラシーみたいなのもあったね。俺は子供の頃からファッションが好きだったけど、服やファッションのプロになれる道があるとか、専門学校や大学で好きなことや面白いことを学べるという選択肢があるのを知らなかったから。N:大学に行くという選択肢は最初から意識していなかったよね。やっと高校を卒業できたのに、さらに勉強するのかよっていう(笑)。田舎だったというのもあるし、時代的にもそうじゃないですか。F:大学って、経済学部とか商学部とか難しそうな勉強するだけだと思っていたし、美大という存在もよく分からなかったから。まあ、歌で生きてきた今となっては、他の道は知らなくてよかったのかもしれないけどね。 ●ファッション ———では、ここからいくつかのキーワードでお話を伺っていきます。まず、「ファッション」について。チェッカーズは斬新な衣装で日本中にインパクトを与えましたが、そもそもフミヤさんは子供の頃からオシャレが好きだったのですね。 F:そう。俺は、小学生の時からファッションが大好きだった。テレビの影響で、フィンガー5とか西城秀樹さんみたいな当時のアイドルの姿に惹かれて、「あんな服を着たい」と思ったんだよね。そうか。実は俺、アイドルに憧れていたのかもしれないな。今さら気付くっていう(笑)。N:で、そういう人たちがテレビで身に着けているような服なんて店で売ってないからって、自分で作ってたんだよね。F:そう。ないなら作ろうと。アメフトのユニフォームみたいに数字の入ったシャツとか、ピースマークの服とか、ベルボトムを着てる小学生。一張羅みたいに、いつも着てたもんなぁ。小学校でそんなの俺だけだから、浮いてたけど(笑)。ジーンズの横を切って広げて、毛糸で編み上げにしたり。N:あったねー! それで自転車に乗ったら、すぐチェーンに絡んで汚れて大変だったっていうやつね(笑)。F:そうそう。昔ってベルボトムが流行ってたから、自転車に乗るとチェーンに挟まる挟まる!(笑) 絡まって黒くなっちゃうことが、よくあったな。 ———もし当時SNSがあったら、“オシャレ小学生”として話題になりそうなレベルですね。 F:でも、そんな風にオシャレはしてたんだけど、小学生の頃はモテるどころか、むしろ女の子には敬遠されていたぐらい。要はイケてない子だったんだよ(笑)。やや小太りだったり、走るのも遅いし、勉強もそんなにできないし。N:そうね、スポーツもずば抜けて何かが得意っていうのはなかったもんね(笑)。F:アイドルに憧れて髪を伸ばしてたんだけど、周りはいがぐり坊主しかいない。ある意味、「ちびまる子ちゃん」の花輪くんみたいな感じで浮いてたんだよ(笑)。中学生になるとみんな髪を伸ばし始めたんだけど、なんでも俺は早過ぎたんだよな。とにかく昔から最先端のものが好きだった。で、小学生の最先端といえば、文房具じゃん。新発売の筆箱とか、新しい物をいつも最初に持ってたんだよ。別に金持ちじゃないんだけど、今思うと親が忙しくて面倒をよく見られないから、欲しいものは買い与えてくれてたんじゃないかな。文房具なんて高くもないしさ。で、俺のアンチだった女子たちは、そういうのが鼻についたというのもあったんだと思う。なのに、中学校に入って急にモテ始めた(笑)。なんとなく、人当たりの柔らかさみたいなのがあったのかもしれない。家が美容室だから人の出入りが激しいし、女性ばっかりの環境だから、女性と話し慣れていたというのはあるし。家に帰ると、いつも知らないおばちゃんやお姉さんがいて、「あら、郁弥ちゃん、おかえり」とか可愛がられてたからね(笑)。ゴツゴツした体育会系でもないし、別に「男は男らしく」みたいな育ち方もしていないし、ちょっとユニセックス性があったのかもしれないとも思う。服装も、中学に入った時点ですでに最先端を行ってたんだよ。学校は制服だけど、私服は当時流行ってたVANとかアイビー系を買って着てた。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが流行ったら、すぐにつなぎを買いに行くとか。そのバンドの衣装が、名前の一文字をつなぎに書いてたんだよ。それで俺も胸に「郁」とか書いてた(笑)。N:そうそうそう! 名前の一文字ね、あったね〜(笑)。F:中学の時とかね。いやー、頑張ってオシャレしてたね! 別にモテたいから着るとかじゃないんだよ。純粋に、自分的にかっこいい服やオシャレな服が着たい、売ってないなら作る。そういえば俺、女の子にモテたいと思って何かをしたことは一度もなかったな。好きでやってただけ。尚之は当時、俺のお下がりを着てたぐらいだったよね。N:そう。でも結局俺の方が背が大きくなって、お下がりがだんだん着れなくなってね(笑)。F:そして中1から音楽にハマったから、興味の対象が音楽とファッションになる。そこから俺は急に、アイドルではなくミュージシャン系のファッションにいくんだよ。でも当時はミュージシャンの映像を見る機会がないから、レコードジャケットや雑誌ぐらいの数少ない情報から探すしかなかった。そして、いわゆる不良っぽいミュージシャンのファッションに惹かれるようになっていく。まだ革ジャンは買えないからビニジャン着たりして。でもいわゆる本当の不良、今で言うヤンキーみたいなのとは違うんだよ。 ———バンド系の人は、そういうタイプの不良とは違うのに、大人から見ると一緒くたに混ぜられがちな時代ですね。 F:彼らはパンチパーマでボンタンジーンズ、女性用の白いつっかけサンダルとか履いちゃって。オシャレなファッションというものとは違ってた。N:あの人たちは、靴も普通に履かないで、必ずかかとを潰して履くんだよね(笑)。F:それにしても今思うと、服を買うお金はどうしてたんだろう。まだバイトもできない年齢の頃は、なけなしの金で買ってたのか、それかお袋にねだってたのか、ちょっと覚えてないけど。家は金持ちではないながらも、お袋がまあまあ羽振りがよかったんだろうね。N:なんせ、町に美容室が一軒しかなかったからね。F:多い時は二人ぐらい雇ってたもんね。女性はみんなパーマをかけていたし、お出かけする時の着物の着付けやセットもしてたから。N:しかも、お客さんに昼飯や晩飯まで普通に出してたっていう(笑)。F:誰にでも「食べていかんね!」って(笑)。もう常に人がいて井戸端会議だった。N:そして、周りから野菜や果物が届けられる。みんな勝手に玄関先に置いてってくれるわけ。それを見て「ああ、筍のシーズンになったんだな」みたいな。F:おそらく売り物じゃなくて、野菜がいっぱいできちゃったのを持ってきてくれたんだと思うけどね。いつももらってたから、柿とか筍はお金を出して買ったことないね。N:みかんは箱で買ってたけど、柿なんかはその辺の木にいくらでもなってるし。F:東京に来て、「柿が売ってる!」って驚いたからね(笑)。えーと、何の話からこうなったんだっけ? ———ファッションの話です。いいんです、フリートークですから(笑)。 N:当時、コンバースも出てきた頃でしたね。そこらのスニーカーとは全っ然デザインも値段も違って、そりゃあもう衝撃的でしたよ。F:ハイカットのコンバースね。当時はバッシューと言われてて、実際にバスケ部の友達ぐらいしか履いてなかった。次に、古着にハマっていったと思う。50年代のアメカジにリーゼントスタイル。高校生になった時はすでに、かなりのオシャレさんだった。もうバイトも始めてたから、服は結構持ってたな。N:東京の「クリームソーダ」っぽい、ロックンロールな切り口の店もあったし。あとはボウリングシャツとか。コカ・コーラの制服を手に入れたりね。F:そうそう、流行ったんだよな。俺はペプシしか持ってなかったけど、コカ・コーラなんて入手困難で、着てると従業員から「お前、それどこで手に入れたんだ?」って言われるぐらい。古着屋で服を買ったりもしてた。洒落た古着屋の服は高いから、普通の、倉庫で着物とかも売ってるような店。高校生になってからは、久留米で一番流行ってる洋服屋に入り浸ってた。そこに遊びに行って常連になるのが、久留米の町ではちょっとステイタス的な(笑)。N:一応セレクトショップだったよね。テイストは偏ってはいなくて、でも通好みなアイテムもあるという。髪型は、ある時からリーゼント系ではなくなったよね。F:そう。俺はすでに50sのリーゼントをやめて、いち早くニューウェーブに行っちゃってた。だから、チェッカーズでデビューする時の衣装にも何の抵抗もなかったんだよね。東京に来た時点では、裕二も享も高杢もリーゼント、政治はリーゼントできる髪型ではなかったけど50sだった。クロベエは当時デュラン・デュランが好きで、髪型を真似してたな(笑)。尚之はどうだったっけ?N:俺も、もうその時はリーゼントにはしてなかったな。F:そうだよね。 ———当時、洋楽アーティストのファッションへの影響は大きかったですよね。その後、MTVも出てきましたし。チェッカーズのメンバーは洋楽に触れていたからこそ、衣装以外でも明確な好みや意思をもって自分のスタイルを楽しんでいた印象です。 F:ファッションって、興味ない人は全然ないからね。最近の若いミュージシャンを見ていても、衣装はいいけど私服は無頓着な人ってめちゃくちゃ多い(笑)。まあ興味は人それぞれだから、別にいいんだけどさ。でも俺ね、若い頃は洋服がイケてないミュージシャンが本当に嫌いで、むしろ見た目から入るようなところもあった。それがある時、逆転したんだよね。ソロになってから、だんだんアメリカ西海岸のロックが好きになったんだけど、そこにファッションセンスというものはなかったのよ(笑)。N:もう、とんでもない感じだったよね(笑)。ヒッピーな感じだったり。F:TOTOにしてもイーグルスにしても、Tシャツとジーンズに髭面。オシャレさは皆無(笑)。でも楽曲はすごくいいんだよ。その時に初めて、ミュージシャンに必ずしもファッションは関係ないと思えるようになった。なんならファッションにこだわりすぎてるよりも、ダサいぐらいの方が職人気質でいいんじゃないか?って逆転した時期もあったぐらい。それはそれで極端なんだけど。N:たしかに、その辺りで音楽とファッションがリンクしなくなるっていうのはあったね。例えばジャズ系でも、昔は絶対にスーツと蝶ネクタイで演奏するのが定番だったのが、バップとかフリージャズになると関係なくなってしまう。ロックもそう。ビートルズがああいう髪型やスタイルになって、だんだん崩れて変わっていった。まあ、イギリスはロックやモッズがファッションとしてありましたけど。F:イギリス系のミュージシャンは崩してもオシャレさがあるんだけど、アメリカはそもそもファッションというものがなかったからね。あと、俺的にOKなダサさとダメなダサさっていうのもある。全然洋服にこだわらないミュージシャンでも、すごいなぁと尊敬している人はいるんだよ。それはきっと、生き方がカッコいいからだろうな。 ———フミヤさんはデザイナーのお友達も多いですし、歌詞にもファッションが感じられる描写がよく出てきます。 […]