藤井画廊 第8回

2021年6月17日 FF-Staff 0

コロナ禍で制作した2作品のうちのひとつ。コロナの蔓延で人々がマスクをするようになり、街を行き交う人たちの顔は、ほぼ目しか見えない。知り合いとすれ違っても、お互い気付かないことすらある。対面しても目だけで識別・判断し、心も読まなければいけない、なんとも不思議な世の中だ。世界には、女性が目だけを見せる風習の国もある。イスラム教徒の中でもサウジアラビアなど一部の国の女性たちは、目元以外を布で覆う。コロナ禍の東京の街でも、若い女性がパーカーのフードをスッポリ被り、マスクをした姿を大勢見かけた。まるでムスリムの女性のようで、どことなく神秘的で魅力的にも見えた。そこで、目だけを描く作品は面白いかも、というアイデアが浮かんだ。目を描くために、さまざまな人種の瞳を検索し参考にした。アジア人はほとんどが黒か茶色だが、ヨーロッパ人はカラフルで、まるで宇宙のブラックホールのように魂が吸い込まれそうなる。とくにアラブやトルコなどの国の人たちの瞳は、ブルー、グリーン、パープル、オレンジ、ゴールドなど、いろんな色が混じっていて宝石のように美しい。だから一部のムスリムの女性は目だけを見せるのか、と思ったほどだ。 最初は試しに、小さめのキャンバスにグラフィック的に描いた。それもなかなかいい出来栄えだったが、もっと大きな方が迫力が出るだろうとキャンバスを大きくした。まず鉛筆で描いたドローイングをパソコンに取り込んでデータに作り直し、それを大きなキャンバスにプリントアウトし、さらに手描きを加えた。どことなくアニメっぽくもあるが、一度見たら記憶に残るインパクトがある。完成した絵をしばらく部屋のイーゼルに掛けていたが、部屋に入るたびに「おっ!」と驚いてしまう。それはまるで、巨大神殿の守り神の一部のようにも見えた。制作中にたくさんの美しい瞳を見た。こんな宝石のような女性の瞳をしばらくじっと見つめたら、魔法にかかったように、すぐ恋に落ちてしまうだろうなと思った。

藤井画廊 第7回

2021年3月15日 FF-Staff 0

骨董商の友人から、「この壺に絵を描いて」と頼まれた。見ると、なんとも味のある壺だ。約150~200年ほど前の、李朝時代の李朝白磁壺だという。李朝は韓国よりずっと前に朝鮮半島に存在した王朝である。そんな歴史ある壺に私の絵なんぞ描いてよいものだろうかと思ったが、「そのコラボが面白いから」と言われ、初めて骨董の壺に絵を付けることとなった。絵を描いていいというくらいなのだから、そんなに高価な物ではないのだろうと勝手に判断した。本来、李朝白磁壺というのは、均整のとれた美しい丸みのある形をしている。しかし、これはかなり歪んでいる。きっと土を乾かしている段階で変形してしまったのだろう。さらに焼いている途中に倒れでもしたのか、ところどころに他の器の高台の跡まで付いている。普通なら焼き窯から出された時に割られてもおかしくない不細工な壺だが、不細工ゆえにここまで生き残れたのかもしれない。暫く眺めていると、なんとも愛らしい形に見えてくる。何を描こうかと数日眺めているうちに、まるでデコッパチのような歪みが、顔に見えてきた。まず目と唇を描いてみたら、完全に壺は頭になった。次に顔以外をどうしようかと思い、後ろの髪の部分に花飾りを描いてみた。そこに白いレースを描き足したところ、壺は可愛らしい花嫁になった。 大昔に、誰が作ったのかもわからない壺。作った陶芸師は失敗作だと思っただろう。とても売り物にならないので、誰かにあげたのかもしれない。それが、どこかの家の隅で生活用品として長年使われていたのかもしれない。何はともあれ約200年もの間、割れることなく生き残り、海を渡り日本にやって来て、この時代に私と出会い、可愛らしい花嫁が描かれ、ひとつのアート作品になった。これからこの壺は、どんな運命を辿るのだろう。

恥じらい

藤井画廊 第6回

2020年12月15日 FF-Staff 0

Fujii Art Gallery 作品を知ることは、作り手の内面世界に触れること。近年のカレンダー掲載作をはじめ、作品のテーマや技法、制作エピソードなどを、フミヤ自身の言葉でお届けします。さらにFUMIYAワールドが深まる、アートなひとときをどうぞ! 作品タイトル「恥じらい」(ボールペン、クレヨン、水彩、アクリル 2019年) この作品は、しばらくほったらかしだった。ここからどうしたものかと考えているうちに、存在すら忘れていた。未完成のつもりだったが、しばらくぶりに見てみると、これで完成でいいんじゃないかなと思えてきた。さらに描くべきか描かぬべきか、判断が難しいところである。ここから更に描き足せば、もう後戻りできない。失敗や後悔をしても、油絵やアクリル画は上から塗り重ねできるが、水彩やパステルなどはそのまま進むしかないのだ。あそこでやめときゃ良かったーと、密かに後悔している作品も少なくない。何より危険なのは、酔って描き足した時。その時はこれはいいと思っても、ほぼ翌日に後悔することになる…。 少女のポーズは、泣いているようにも見えるし、恥じらっているようにも見える。全身に、まるで古代の原住民の刺青のような柄が入っている。なぜこのような作風にしたのか自分でも思い出せないが、少し現代アートな感じにしたかったのだろう。たしかバスキア展に行った後だったから、刺激されたのかもしれない。アート展を見に行くと、たいてい作品に影響する。でも実は、この絵がこうなった本当の理由は、プレゼントなのだ。あえて、ボールペン・クレヨン・水彩・アクリルなど多くの画材を使用している。実は、どれもFFメンバーからのプレゼントだ(※)。せっかくもらったから使わないともったいない、全部使ってみよう!と言うのが最初の発想。料理で言うと、いろんな野菜を沢山もらったから、これで何か作ろう、みたいな感じ。FFメンバーというのは、画家である私のパトロンでもあったのだなぁ。 この作品と同じポーズの絵が、他にもう1枚ある。そちらはオイルパステル(クレヨン)で描いた。綺麗に仕上がった絵をぐしゃぐしゃと丸めてしわくちゃにし、それをまた元に戻し、最後にコーティング液を塗った。一か八かの後には引けない行為だったが、なかなか面白い作品に仕上がったので良かった。そちらは大阪での個展で新作として展示したので、見に行ってくれた人はこのポーズが記憶にあるかもしれない。今から思えば、あの時の個展はコロナで日本中のイベントが中止になるギリギリ前だった。 ※現在、感染症予防対策としてプレゼント送付はご遠慮いただいております。(巻末参照)

青いコーナーの女

藤井画廊 第5回

2020年9月1日 FF-Staff 0

作品を知ることは、作り手の内面世界に触れること。近年のカレンダー掲載作をはじめ、作品のテーマや技法、制作エピソードなどを、フミヤ自身の言葉でお届けします。さらにFUMIYAワールドが深まる、アートなひとときをどうぞ! 前回も紹介した「コーナーの女」シリーズ。そのうち最初の作品が、この「青いコーナーの女」だ。違いを楽しんでみてほしい。 ポスターカラーの青1色で、筆のラインに強弱をつけて描いたシンプルな作品。うずくまった女性という構図を好んで描くのは、画角にすっぽりとはまるからだ。 まず裸婦画を描き終えて、さて背景に何か描くべきかどうか考えた。裸婦だけでもいい感じなのだが、やはり背景があった方がいい。とはいえシンプルな絵なので、あまりごちゃごちゃ描きたくはない。女性がどこにいるのか分からない方がいいから、居場所を決定付けるようなものも好ましくない。シンプルで、それでいて奥行きを感じる背景にしたい・・・。 そこで考えたのが、XYZ軸の3本の線。つまりコーナーなのである。3本の線を足しただけで、女性がどこかの部屋の隅にうずくまっているように見え、いきなり立体感が出た。このアイデアがパッと浮かんだ時、思わず「俺は天才だなぁ」と自画自賛してしまったほどだ(笑)。実際、この手法と作風は、ギャラリーのオーナーからも「実に面白い」と褒められた。 今のところ「コーナーの女」シリーズは6作品ほどあるが、今後も増えてゆくと思う。なぜなら3本線という簡単に描ける手法であり、見た目にもシンプルなモダンさが気に入っているからだ。部屋の隅にうずくまっている女性なんて妙かもしれないが、不思議な3本線による、見た人の想像を掻き立てる構図なのだ。